理論は現象の後追い:ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ
ヘーゲルは偉大な哲学者であることに間違いはない。
その中でも、彼が残した法の哲学のこの一説は特に自分の心に響く。
ミネルヴァの梟は迫りくる黄昏に飛び立つ
ふくろう(梟)は学問の神ミネルヴァの化身と考えられていた。梟はご存知の通り夜行性のため、夜が近くならないと飛び立つことができない。
この行動様式にヘーゲルは学問のある種限界であり特性を垣間見て、このような言葉を残したのである。
学問は結果の産物である
つまりあらゆる事象はそれ事態が完璧に時代精神として現れて、いざ終わる際にやっと学問として体系化されていくものなのだとヘーゲルは考えている。
つまり学者としては未来を予測することもできず、起きた出来事・結果への考察の積み重ねでしかできない。つまり過去をみて、こういった時代精神だったねと反芻することしか学者にはできないのである。
ここに学問という分野におけるいい意味でも悪い意味でも限界を垣間見えることができる
常に時代は理論に先立って現れる
常に時代精神は待っているのではなく、自然と現れてくるものなのではないか。もとい、時代は実行者によって作られていくものなのだ。観察者である学者はそれが過ぎ去った後に論じることしかできない。
未来を予測する一番の方法は自分で創ることだとだれかがいっていたが、それは的を得ている。