コンテンポラリーマウス

未だ知らないものを探している途中

日大アメフト部の問題は、日本のスポーツ社会・縦社会が産んだ構造問題

昨日・今日と日大アメフト部関連の会見が続きネット上では盛り上がりを見せている。この1週間くらいこのニュースでもちきりだ。

ほとんどが、監督・コーチ・日大広報部がクソだっていう意見だけど、そんな文化をつくったのは自分含めこの日本社会・スポーツの構造の問題だと思う。それを棚にあげて、文句や意見ばっかりネットに書き込むのはお門違いなのではと。(もちろん、いろいろ言いたいことや思うことはめちゃあるけども)

 

社会構造は個人に不可逆なベクトルで影響を与える

この問題は、エミール・デュルケームの社会に対する考え方を思い起こす。

デュルケーム社会学独自の対象とした「社会的事実」とは、個人の外にあって個人の行動や考え方を拘束する、集団あるいは全体社会に共有された行動・思考の様式のことであり、「集合表象」(直訳だと集合意識)とも呼ばれている。つまり人間の行動や思考は、個人を超越した集団や社会のしきたり、慣習などによって支配されるということである

www.wikiwand.com

今後この思想が、構造主義を構築してくようになるのだけれども、つまりは個人の意識が社会を動かしているのでなく、社会の意識が個人を動かしているのだ。

社会の価値観・社会の性格が個人に不可逆なベクトルで影響を与え続けてしまう。

 

日本のスポーツ分野をみてみれば、今回の問題は起こるべくして起こった社会構造があったのではないだろうか。コーチや監督は神。全員が坊主にして、彼らのいうことをハイ!と聞くことが正。そんな社会の性格を構築していったのは、今回問題になった彼らのせいなのだろうか。

 

自分が中学の時の、バスケットボール部のコーチも正直こういう思想の人だった。ただチーム自体は大会で優勝をするようなチームだった。だから選手もついていったし、周りもそのスパルタ思考が悪いとはどこかで思いながら、真正面から指摘する人は少なかった。

 

今回批判している人の中でも、あの監督が以前の大会で優勝したときに、褒めた人はいるのではないだろうか。いままでそういう構造なところで生きてきた人も多いのではないだろうか。

もしそうであれば、今回の事件を批判することはできるのだろうか。

 

石を投げるべきはこの社会の構造・性格

今回のような事件・思想を生み出してしまったのは、紛れもない自分を含むこの社会の性格・社会の構造的な問題なのではないかと思う。

 

自分のこと・社会のことを棚に上げて、今回の事件の関係者がアカンという論調はおかしいと思う。確実にこの空気感・構造を作り上げてきたのは紛れもない自分たちであって、それを認識しないといけない。

ただこの問題をきっかけに、日本社会特に日本スポーツ会が抱える構造的な問題に一隻が投じることができるならいいのでは。

 

なので、監督もコーチ含め、個人を対象として攻撃するのは意味がない。対象はこの社会であるべきだし、石を投げるべきは構造に対して投げるべき。身近な職場でも部活でもどこでもこのような縦社会が産んでいる問題がありふれているはず。その中でホントは自分が加害者になっていないのだろうか。

 

もう一度これは自省を込めてだけども、改めて考え直したい問題である。

 

toyokeizai.net