自由からの逃走をしているフラリーマン
電通の問題以降働き方改革がメディアによってとりあげられるようになってきた。
プレミアムフライデーなど、本当にそのような効果があるのかはわからないけれども、いろいろな施策がどんどん今度も進むのであろう。
もちろん、世界の労働時間は減少をしているはずで、余暇が増えることはいいことのように思える。”昭和のモーレツなんて、時代遅れだ”なんて、自分も思うこともある。
しかし、働き方改革がもたらすものは本当に幸せなのだろうか。
自由からの逃走をしているサラリーマン
下記のようなニュースを読んだ。残業ができなくなり、妻には残業をしてるといいつつも公園でたむろしていたり、カフェで無駄に時間を過ごしたりするフラリーマンが増えているようだ。
ただすごい気持ちはわかる。これは日本人が囚われている一種のカルマのようではないのだろうか。
いいかえれば、自由からの逃走をしているのだと思う
労働と休暇が近代をつくってきた
近代化が進むにつれて、労働と休暇がわけられるようになってきた。休暇は労働のためにあるもので、労働こそが大事だと。そしてその労働で生産したであろうお金を休暇で消費して経済が周り、日本経済は成長してきたのではないだろうか。
しかしいまITを含め効率化が進む中、労働時間が減少し余暇時間がどんどん今後も増えてくるのではないだろうか。
しかし土日いがいの余暇時間の使い方をしらない、日本人はフラリーマンのように目的もなくたむろしてしまう。これは自分にもあてはまることだからすごいよくわかる。
つまり余暇の過ごし方がわからないのである。これは悲劇だ。
副職ブームには生き甲斐のよりどころがある
しかし、この悲劇にも希望はある。自分の意志で生きる価値をみいだしていくのである。それが昨今の副職ブームでもあるし、Instagramなどをはじめとする自己承認欲求の満たし方にもなってくるのではないだろうか。
よっぴーの下記記事ではないが、今後は
- 会社のために働く時間
- 自分のために働く時間
- 自分のために休む時間
という時間の使い方がどんどん増えてくるのではないかと考えている。