自己疎外からの脱却:どうすれば幸せになれるか科学的に考えてみた
どうすれば幸せになれるか。そんな風に考えたことは一度はあるのではないだろうか。
この本は明快に答えを出しているわけではないが、若い30代の世代の人達が討論しているため、いまの若い人にとっての幸せに近い定義で描かれているため、読みやすい本である。
ただこの主題に対しては最終章しか描かれてはいなく、それまでは二人の疑問からはじまる雑談が多い。(もちろんその雑談自体も示唆に富むもので面白くはあるのだが)
やはり幸せという定義は難しいのだが、自分の好きをよく知ることは確実に幸せに近づけるコツだとは思う。
社会がこれが幸せだと思え!って自己偏愛が疎外されてきたのが直近の歴史だったとは思う。一括でまとめられ、終身雇用でひたすら自己を疎外されてきたのが現代だったのではないだろうか。メディアが生まれ、多様だったはずの価値観の一律化が更に進んでしまい、そこからそれた人間は社会的に疎外されてしまう。。
しかしここ直近になり、一律だった社会が崩壊を迎えてまた時代は個人に焦点をあてるようになった。それはインターネットの発達・技術の発達など様々な要因があるだろう。日本に限っていえばバブルの終焉だろう。
そのような時代に生まれた自分達は、”個性を大事に”という言葉で育てられてきたはずだが、上の世代が個性を大事にしていない世代のため、誰も答えがみつからないまま育ってしまう。かつ社会のシステムはそう簡単には変わらない。新卒一括採用がその顕著な例だが、結局は集団化・没個性的・疎外されている。
そのような時代に幸せをもとめるのであれば、自己偏愛を奪還することではないだろうか。つまり自分が何が好きかをはっきりと自覚することだ。
この本の言葉を引用して表現させていただくと、感情をきちんとモニタリングして自分が過去何が楽しかったのか、何が好きだったのかを把握することだ。これは幸せへの第一歩ではないだろうか。
社会が求めることをするのではなく、自分を起点とした世界観をもてること。言うのは簡単だが、実践は難しいのではいだろうか。
そういった自己疎外からの脱却が今にいきる若者にとっては重要なテーマな気がする。
以下気になった箇所の引用
クリエイティブなときを考えるときはポジティブがよくて、厳密に考えるときはネガティブのほうがよい
理解=分類、予測、検証、因果、創造
科学はHow What 宗教はWhy Who
感情モニタリングをして、欲望に忠実においかけることが重要
過去に楽しかったものを分類して抽象化する
☆3
Don't think just paint かくかくしかじか
昨年かな、メディア芸術賞を取った作品である。
東村アキコの自伝的漫画であるが、これが泣ける。。
これは先生と主人公である東村アキコさんの愛情の物語であるし、そして先生とその美術教室の生徒との絆の物語だ。
先生のコミュニケーションのやり方は正直古臭いし、自分がやられたらまいってしまうかもしれない。でもそれはなにより愛情の裏返しなんだ。
でも自分自身にも反省なんだが、若ければ若いときほどのその愛情にはまったく気づくことができない。むしろ鬱陶しいと思ってしまう。その気持ちは非常にわかってしまう。。
"描け"
これは先生の最後の言葉でもあるが、この物語のテーマが詰まった一言だったと思う。
先生はいつも描けとしか言わない。下手に内省してしまう若者たちにとって、いわれたことをやる、目の前のことをやるというのが苦手になってしまっているのではないだろうか。これをしたらどうなるんだろうか、これをやる意味があるのだろうか。そんな不安がよぎってしまう。
しかし、それは描くことでしかその不安はかき消されない。先生は言う。書きたいものを考えるからだめなんだ。目の前のものを描けと。描いて描いて描いて描いて描くしかない。
よく立ち止まってしまう。何がしたいんだっけ、なにを目指しているんだっけっと。思考する時間は無駄だとは思わないけれども、それでも思考では何も生み出さない。ただまっすぐに描く・行動することへの大切さを思い出させてくれるようなマンガだった。
そして東村アキコさんのずっと夢だった漫画家なのに、時間があるときはまったくかかず就職してそこから抜け出したいとなってやっとそのマンガを書き始めるということに非常にシンパシーを感じるし、励みになる。
アウトプットが全てだ、描け。
☆4
常識の危うさへの指摘:23分間の奇跡
短編小説ではあるが、非常に示唆に富む小説であった。
戦後の日本をみているようであるし、教育とは一種の洗脳であるという副次的な事実を思い知った。
著者が日本兵に捕虜などにされた経験から得ている考察なのであろうか。
23分あれば人は洗脳ができる
かいつまんで概要を説明すると、23分間の間にいかに子どもたちを洗脳していくことがよく説明されている。子供の考えを否定しない。否定しないが多様性を認めつつ、洗脳したい価値観の考えの軸を刷り込んでいく。その様子が上手く描かれてる。
引用
間違った考えたと言ったので悪い考えてはいけない
もし何かをしてくれる人があるとすればそれは神様なんかじゃなくて誰かほかの人である
☆4
現代版シャーロック・ホームズ
推理ものはあまり読んだり見たりしたことないのだが、久しぶりにこのシリーズはその探偵者でハマったシリーズだった。それがシャーロックだ。
イギリスのBBCが力いれて作ってるだけあって映像、ストーリーともに素晴らしい出来だ。
現代版シャーロックはよくググる
今回の舞台は完全に現代だ、現代版のワトソンレストレードもいる。そして今回のシャーロックは原作を上回る奇人変人ぶりを見せている。
倫理的価値観が崩壊しており、己の知力を信じて難事件に挑む。その際に現代らしいのが科学知識やサーチを多様して真相に近づいていくことだ。もちろん基礎となるのはdeduction、推論ではあるのだが。
全ての可能性を排除尽くしたあと残ったのが事実だ
シーズン3の3の兆候がマイベスト
どの話も面白いが、ワトソンの結婚式を描くこのストーリーが一番心にくるものがあった。これまで孤独に戦ってきた、シャーロックがワトソンと本当の意味でベストフレンドになるストーリーだ。
シリーズを通して一番泣けた。
本当によいドラマなのでぜひ見てない方は見ていただきたい。
130円の切符でできる大冒険:JR大回り乗車とは
電車に揺られている時間が好きだ(*座っているときに限る。だが。)
あのリズミカルな振動は心地よい眠りに誘ってくれるときもあるし、適度な喋り声が聞こえるあのような環境は読書にもってこいだ。カフェでゆっくり腰掛けて読むよりも進む場合がある。また仕事だってできる。
あるときは、乗客の人間観察をして、あの家族関係はこうだろうか・友達関係はこうだろうかと推論をしてみたりすることができる。
なので電車の移動は好きだ(*何度も記述するが座っているときに限るだが)
そんな自分がハマっていることがある。それが大回り乗車だ。
1枚130円からできる大冒険
大回り乗車をすればった130円からでも電車で大冒険が可能だ。東京駅から千葉の最奥地までいってかえってくることだってできる。
どういうからくりか?それは名が示すとおり、隣の駅にいくのに果てしない大回りをしていくということだ。そのため、時間はかかるが乗車料金は隣の駅まで分となる。
そうすることで、途中下車こそできないもののたった130円でもいくつもの県をまたいで電車に乗ることが可能なのである。
5時間以上移動で乗れることができるので、ぜひたまった本を読もうと思っている方やちょっとした考え事に車窓からぼんやり考えてみたいと思っている方などいらしたら、ぜひ試してもらいたい。
守るべきルール
これは合法なのであろうか?合法ではある。ただ推奨されているものではないが、駅員さんに大回りですといえば通じる程度の理解はあるものだ。ただルールはいくつかあるので、下記ルールに注意してぜひ楽しんでもらいたい
- 適用区間がある(大都市圏しかできない)
- 途中下車はできない(当たり前だが、途中下車すると大回りしていない)
- 有効期限は1日のみ
- 同じ駅を過ぎてはいけない(一筆書きで移動しないといけない)
ー参考サイト
理論は現象の後追い:ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ
ヘーゲルは偉大な哲学者であることに間違いはない。
その中でも、彼が残した法の哲学のこの一説は特に自分の心に響く。
ミネルヴァの梟は迫りくる黄昏に飛び立つ
ふくろう(梟)は学問の神ミネルヴァの化身と考えられていた。梟はご存知の通り夜行性のため、夜が近くならないと飛び立つことができない。
この行動様式にヘーゲルは学問のある種限界であり特性を垣間見て、このような言葉を残したのである。
学問は結果の産物である
つまりあらゆる事象はそれ事態が完璧に時代精神として現れて、いざ終わる際にやっと学問として体系化されていくものなのだとヘーゲルは考えている。
つまり学者としては未来を予測することもできず、起きた出来事・結果への考察の積み重ねでしかできない。つまり過去をみて、こういった時代精神だったねと反芻することしか学者にはできないのである。
ここに学問という分野におけるいい意味でも悪い意味でも限界を垣間見えることができる
常に時代は理論に先立って現れる
常に時代精神は待っているのではなく、自然と現れてくるものなのではないか。もとい、時代は実行者によって作られていくものなのだ。観察者である学者はそれが過ぎ去った後に論じることしかできない。
未来を予測する一番の方法は自分で創ることだとだれかがいっていたが、それは的を得ている。
コモディティな世界での戦い方:僕は君たちに武器を配りたい
親の世代とは生き方が違う。
20代・30代にとってはキャリアの歩み方・生き方から全てが変化している。そのときに必要なのは自分のアタマで考えることだ。こう書くと陳腐に聞こえるが、自分の価値観をしっかりもって生きることだと思う。そのためのヒントを多く教えてくれる本であった。
コモディティ化するのが資本主義の定め
商品も人もどんどんコモディティ化する。資本主義経済における特徴は価格が市場によって決まる。つまり変化する、自由に設定できることである。そのため生産者はどんどん商品を安く・品質を高くしていくというのが求められるようになる。その結果商品はコモディティ化していき、それを作業するためのエキスパートもコモディティ化していく。それが最高潮に達する際には技術変化によってプレイヤーが代わりだす。これが資本主義の定めである。
生き残る術はスペシャリストになること
著者は本の中で働き方として6つの働き方を紹介している
- トレーダー
- エキスパート
- マーケッター
- イノベーター
- リーダー
- インベスター
この中で、トレーダーはエキスパートは資本主義世界におけるコモディティの波に飲み込まれる可能性が高いことを指摘している。そのため残りの働き方にシフトしていくべきという提言をしている。
自分自身を売る感覚、市場感覚を常に気にしていく必要がある。そうでなければあっという間にコモディティ化の波に飲まれてしまう。それを避けるために著者は自分の頭で考えることを説いている。
まあただあくまで理想的なことを語っているだけで、キャリアの幻想を見せている感は否めない。キャリアポルノではないが、全員がそのような望むシフトができはしないだろう。あくまで高学歴の若い読者にむけたメッセージであることが伝わってくる。
ただそのような一部のエリートが社会を支えていることも否めない事実ではあるので、だからこの本は駄目だとかは思わない。英語・ITを奴隷の学問と呈することは、愉快痛快だなあと思う。そうでなく根本的な思想の変化が求められる時代にはなりつつあるでしょう。難しい時代に生まれたもんだ
☆3