コンテンポラリーマウス

未だ知らないものを探している途中

「異世界系」マンガ・ラノベから臭う現代社会への諦め

異世界系のマンガ・ラノベが流行っているようである(少し気づくのがおそすぎる反省・・)

書店のマンガコーナーにいけば、そこらかしこに異世界〜、転生〜などなどとタイトルがいろいろある

今までそれらを手に取ったことがないのだから、ネットフリックスでたまたまおすすめされた、異世界はスマートフォンとともにという作品をみた、正直に衝撃をうけた。

異世界はスマートフォンとともに。 (1) (角川コミックス・エース)

異世界はスマートフォンとともに。 (1) (角川コミックス・エース)

 

努力なにそれ美味しいの??

このシリーズ系の定番なそうだが、主人公がはじめからいわゆるチートキャラなのである。 能力が高かったり、特殊な能力があったり、スマートフォンをもってたり?とか。

努力・友情・勝利?そんなの古臭い。そういうのでなくてスカッとした物語が読みたいんだよっていう声が聞こえてきそうだ。

そのため見ていて不思議と爽快感は非常にある、なぜならサクサクストーリーがすすむからだ。主人公は万能だし、女の子となんて出会って3秒で恋に落ちるし、なにも心配することがないからだ。面白いといえば面白いでも、これでいいのか・・

 

異世界系は現代の社会への諦めを表している

文化は社会情勢に大きく左右されるのではないかと常日頃思っている。特に若者のカルチャーは。

日本が高度経済成長時代には、もっといけるもっと頑張れば豊かになれるということが時代背景にあった。そのため、ど根性ガエル巨人の星などそういった根性ものが好かれている。社会は努力次第で希望は見えたのであった。

しかしそれが収まってくると、段々現実味を帯びたマンガがヒットしてくる。デスノートであったり、まどマギなどがそれを示している。現実ってそんなに甘くない、努力・友情・勝利が必ず叶う社会ではないのだ。実際に失われた20年(まあ20代の自分にとっては失われても、はじまってもいないのだけれども)という社会は停滞期にはいる。そうした現実性と向き合うマンガ・コンテンツが増えてきたのである。

 

そしてこの異世界ものである。これは現実社会への若者からの諦めのメッセージではないだろうか。努力の先に勝利も待っているかもわからないこんな世界で頑張ったってどうしようもない。そしてこんなにもコンテンツが溢れているスマートフォンの中では自分たちは思い通りに活躍できる。だったら努力とかでなく最初からチートで爽快に物語を人生を勧めたい。でも現実社会でそうはいかないことはもうわかっている。だからこそ異世界に彼らは救いをもとめるのだ。

汗臭い物語などもう好んでいない。人間臭さは嫌というほど見てきた。そんな現代社会に対する諦めを異世界シリーズからは臭う。

 

そんなことないよなんて20代の自分は言えない。社会は残酷だ。これからも異世界やまったく違う社会というコンテキストのカルチャーはどんどんでてくるのではないだろうか。それを若者はこの現実社会から逃げるようにして消費していくのである。そしてそれが現実に起きないこと含め彼らは理解しているのであろう。