常識の危うさへの指摘:23分間の奇跡
短編小説ではあるが、非常に示唆に富む小説であった。
戦後の日本をみているようであるし、教育とは一種の洗脳であるという副次的な事実を思い知った。
著者が日本兵に捕虜などにされた経験から得ている考察なのであろうか。
23分あれば人は洗脳ができる
かいつまんで概要を説明すると、23分間の間にいかに子どもたちを洗脳していくことがよく説明されている。子供の考えを否定しない。否定しないが多様性を認めつつ、洗脳したい価値観の考えの軸を刷り込んでいく。その様子が上手く描かれてる。
引用
間違った考えたと言ったので悪い考えてはいけない
もし何かをしてくれる人があるとすればそれは神様なんかじゃなくて誰かほかの人である
☆4
現代版シャーロック・ホームズ
推理ものはあまり読んだり見たりしたことないのだが、久しぶりにこのシリーズはその探偵者でハマったシリーズだった。それがシャーロックだ。
イギリスのBBCが力いれて作ってるだけあって映像、ストーリーともに素晴らしい出来だ。
現代版シャーロックはよくググる
今回の舞台は完全に現代だ、現代版のワトソンレストレードもいる。そして今回のシャーロックは原作を上回る奇人変人ぶりを見せている。
倫理的価値観が崩壊しており、己の知力を信じて難事件に挑む。その際に現代らしいのが科学知識やサーチを多様して真相に近づいていくことだ。もちろん基礎となるのはdeduction、推論ではあるのだが。
全ての可能性を排除尽くしたあと残ったのが事実だ
シーズン3の3の兆候がマイベスト
どの話も面白いが、ワトソンの結婚式を描くこのストーリーが一番心にくるものがあった。これまで孤独に戦ってきた、シャーロックがワトソンと本当の意味でベストフレンドになるストーリーだ。
シリーズを通して一番泣けた。
本当によいドラマなのでぜひ見てない方は見ていただきたい。
130円の切符でできる大冒険:JR大回り乗車とは
電車に揺られている時間が好きだ(*座っているときに限る。だが。)
あのリズミカルな振動は心地よい眠りに誘ってくれるときもあるし、適度な喋り声が聞こえるあのような環境は読書にもってこいだ。カフェでゆっくり腰掛けて読むよりも進む場合がある。また仕事だってできる。
あるときは、乗客の人間観察をして、あの家族関係はこうだろうか・友達関係はこうだろうかと推論をしてみたりすることができる。
なので電車の移動は好きだ(*何度も記述するが座っているときに限るだが)
そんな自分がハマっていることがある。それが大回り乗車だ。
1枚130円からできる大冒険
大回り乗車をすればった130円からでも電車で大冒険が可能だ。東京駅から千葉の最奥地までいってかえってくることだってできる。
どういうからくりか?それは名が示すとおり、隣の駅にいくのに果てしない大回りをしていくということだ。そのため、時間はかかるが乗車料金は隣の駅まで分となる。
そうすることで、途中下車こそできないもののたった130円でもいくつもの県をまたいで電車に乗ることが可能なのである。
5時間以上移動で乗れることができるので、ぜひたまった本を読もうと思っている方やちょっとした考え事に車窓からぼんやり考えてみたいと思っている方などいらしたら、ぜひ試してもらいたい。
守るべきルール
これは合法なのであろうか?合法ではある。ただ推奨されているものではないが、駅員さんに大回りですといえば通じる程度の理解はあるものだ。ただルールはいくつかあるので、下記ルールに注意してぜひ楽しんでもらいたい
- 適用区間がある(大都市圏しかできない)
- 途中下車はできない(当たり前だが、途中下車すると大回りしていない)
- 有効期限は1日のみ
- 同じ駅を過ぎてはいけない(一筆書きで移動しないといけない)
ー参考サイト
理論は現象の後追い:ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ
ヘーゲルは偉大な哲学者であることに間違いはない。
その中でも、彼が残した法の哲学のこの一説は特に自分の心に響く。
ミネルヴァの梟は迫りくる黄昏に飛び立つ
ふくろう(梟)は学問の神ミネルヴァの化身と考えられていた。梟はご存知の通り夜行性のため、夜が近くならないと飛び立つことができない。
この行動様式にヘーゲルは学問のある種限界であり特性を垣間見て、このような言葉を残したのである。
学問は結果の産物である
つまりあらゆる事象はそれ事態が完璧に時代精神として現れて、いざ終わる際にやっと学問として体系化されていくものなのだとヘーゲルは考えている。
つまり学者としては未来を予測することもできず、起きた出来事・結果への考察の積み重ねでしかできない。つまり過去をみて、こういった時代精神だったねと反芻することしか学者にはできないのである。
ここに学問という分野におけるいい意味でも悪い意味でも限界を垣間見えることができる
常に時代は理論に先立って現れる
常に時代精神は待っているのではなく、自然と現れてくるものなのではないか。もとい、時代は実行者によって作られていくものなのだ。観察者である学者はそれが過ぎ去った後に論じることしかできない。
未来を予測する一番の方法は自分で創ることだとだれかがいっていたが、それは的を得ている。
コモディティな世界での戦い方:僕は君たちに武器を配りたい
親の世代とは生き方が違う。
20代・30代にとってはキャリアの歩み方・生き方から全てが変化している。そのときに必要なのは自分のアタマで考えることだ。こう書くと陳腐に聞こえるが、自分の価値観をしっかりもって生きることだと思う。そのためのヒントを多く教えてくれる本であった。
コモディティ化するのが資本主義の定め
商品も人もどんどんコモディティ化する。資本主義経済における特徴は価格が市場によって決まる。つまり変化する、自由に設定できることである。そのため生産者はどんどん商品を安く・品質を高くしていくというのが求められるようになる。その結果商品はコモディティ化していき、それを作業するためのエキスパートもコモディティ化していく。それが最高潮に達する際には技術変化によってプレイヤーが代わりだす。これが資本主義の定めである。
生き残る術はスペシャリストになること
著者は本の中で働き方として6つの働き方を紹介している
- トレーダー
- エキスパート
- マーケッター
- イノベーター
- リーダー
- インベスター
この中で、トレーダーはエキスパートは資本主義世界におけるコモディティの波に飲み込まれる可能性が高いことを指摘している。そのため残りの働き方にシフトしていくべきという提言をしている。
自分自身を売る感覚、市場感覚を常に気にしていく必要がある。そうでなければあっという間にコモディティ化の波に飲まれてしまう。それを避けるために著者は自分の頭で考えることを説いている。
まあただあくまで理想的なことを語っているだけで、キャリアの幻想を見せている感は否めない。キャリアポルノではないが、全員がそのような望むシフトができはしないだろう。あくまで高学歴の若い読者にむけたメッセージであることが伝わってくる。
ただそのような一部のエリートが社会を支えていることも否めない事実ではあるので、だからこの本は駄目だとかは思わない。英語・ITを奴隷の学問と呈することは、愉快痛快だなあと思う。そうでなく根本的な思想の変化が求められる時代にはなりつつあるでしょう。難しい時代に生まれたもんだ
☆3
概算は仮説にすぎない:ふたりの距離の概算
氷菓からはじまる、古典部シリーズである。学校で起きる事件などを古典部が解決していくということが大まかなストーリー。
アニメにもなっていて、京都アニメーションスタジオが制作をしており、絵もきれいな映画なのでぜひ見て欲しい。
ホータローの観察眼の素晴らしさ
この物語の主人公のホータローは自ら省エネ主義を謳う、”やるべきことは少なく、やらなくてはいけないことは最小限”という考え方で動くのだが、推論に関していえばその才能はずば抜けている。事件に際したときに、これまでの発言の記憶の呼び起こし、事象の観察力の高さ、仮説構築の速さ。どれをとっても秀でている。
今回の事件においてもマラソンをはしり?歩きながらも、過去に起きた事象を思い返し、違和感に対して仮説を構築していく。その仮説構築を一緒に体現できるのはこのシリーズの面白さ・醍醐味であると思う
ホータローがはじめて見せるロジックでない賭け
ホータローはいつも思い込みを捨てて、その場の確たる証拠からしか推論をしないのだが、今回の話ではある賭けを行っている。その賭けは千反田えるを信じているからこそできた賭けであり、シリーズ通してのホータローの変化がここにきてあられつつあるのもこの話からは感じ取ることができた。
バイアスをかけずに人のことを見ることはできない
しかもそれはお互いに言えることだ。自分が相手に対してどう思ってるかはわからないし、相手がどう考えてるかなんてもっとわからない。そのふたりの距離の概算が誤った結果起きた事件であった。
☆3
- 作者: 米澤穂信
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「異世界系」マンガ・ラノベから臭う現代社会への諦め
異世界系のマンガ・ラノベが流行っているようである(少し気づくのがおそすぎる反省・・)
書店のマンガコーナーにいけば、そこらかしこに異世界〜、転生〜などなどとタイトルがいろいろある
今までそれらを手に取ったことがないのだから、ネットフリックスでたまたまおすすめされた、異世界はスマートフォンとともにという作品をみた、正直に衝撃をうけた。
異世界はスマートフォンとともに。 (1) (角川コミックス・エース)
- 作者: そと,兎塚エイジ,冬原パトラ
- 出版社/メーカー: KADOKAWA
- 発売日: 2017/06/24
- メディア: コミック
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努力なにそれ美味しいの??
このシリーズ系の定番なそうだが、主人公がはじめからいわゆるチートキャラなのである。 能力が高かったり、特殊な能力があったり、スマートフォンをもってたり?とか。
努力・友情・勝利?そんなの古臭い。そういうのでなくてスカッとした物語が読みたいんだよっていう声が聞こえてきそうだ。
そのため見ていて不思議と爽快感は非常にある、なぜならサクサクストーリーがすすむからだ。主人公は万能だし、女の子となんて出会って3秒で恋に落ちるし、なにも心配することがないからだ。面白いといえば面白いでも、これでいいのか・・
異世界系は現代の社会への諦めを表している
文化は社会情勢に大きく左右されるのではないかと常日頃思っている。特に若者のカルチャーは。
日本が高度経済成長時代には、もっといけるもっと頑張れば豊かになれるということが時代背景にあった。そのため、ど根性ガエルや巨人の星などそういった根性ものが好かれている。社会は努力次第で希望は見えたのであった。
しかしそれが収まってくると、段々現実味を帯びたマンガがヒットしてくる。デスノートであったり、まどマギなどがそれを示している。現実ってそんなに甘くない、努力・友情・勝利が必ず叶う社会ではないのだ。実際に失われた20年(まあ20代の自分にとっては失われても、はじまってもいないのだけれども)という社会は停滞期にはいる。そうした現実性と向き合うマンガ・コンテンツが増えてきたのである。
そしてこの異世界ものである。これは現実社会への若者からの諦めのメッセージではないだろうか。努力の先に勝利も待っているかもわからないこんな世界で頑張ったってどうしようもない。そしてこんなにもコンテンツが溢れているスマートフォンの中では自分たちは思い通りに活躍できる。だったら努力とかでなく最初からチートで爽快に物語を人生を勧めたい。でも現実社会でそうはいかないことはもうわかっている。だからこそ異世界に彼らは救いをもとめるのだ。
汗臭い物語などもう好んでいない。人間臭さは嫌というほど見てきた。そんな現代社会に対する諦めを異世界シリーズからは臭う。
そんなことないよなんて20代の自分は言えない。社会は残酷だ。これからも異世界やまったく違う社会というコンテキストのカルチャーはどんどんでてくるのではないだろうか。それを若者はこの現実社会から逃げるようにして消費していくのである。そしてそれが現実に起きないこと含め彼らは理解しているのであろう。